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2018.03.08

3月8日、父の命日を迎えて。

 8年前、ちょうど京都府知事選挙のあった年に私の父は亡くなりました。今年も京都府知事選挙の年。毎年この季節になると父のことを思い出します。
 父は桜の咲くのを楽しみにしながら逝きました。私にとって桜の咲く時期、こころウキウキするのと同時に、父のことを毎年思い出します。
 父が逝き、私がいろんなことを判断するとき、「父はどうしただろう。」と、いつも判断の基準に父がどうしたかがあります。もうそろそろ、自分の判断でものごとを決めた方がいいよと言われることがありますが、まだまだ、そうはいかない自分が今あります。
 父が逝ったとき、もっと父がしたかったことがあっただろうと思いましたが、そうではないんだと思いなおしました。父の思いは、すでに私の中に託されている。私自身がやりたいことをやる。そのこと自身が、父がやりたかったことだと。これからも父がどうしようとするか、そして私自身がどうしたいか。そのことを大切にしていきたいと思います。
 父が亡くなった時に書いた文章をもう一度読み返してみました。今日はその文章を紹介します。

 

 38日に突然、父が他界しました。その日夕方の診療が終って、母と2人で食事をした後、駐車場から自宅までのほんの数10mの道で突然倒れて、そのまま救命センターに運ばれましたが意識が戻ることなく逝きました。

 3年前に前立腺の手術を受けた際に、腹部の動脈瘤を指摘されていましたが、父親本人も動脈瘤の手術はしないと決めていました。この動脈瘤が破裂したことが死因でした。あっという間ことだったと思います。

 今から16年前に父親が脳梗塞で倒れました。その頃私は東京の日本大学の救命救急センターに勤務していました。まだ携帯電話がなく、ポケベルの時代でした。ある朝いつものように救命救急センターに向かう電車のなかでポケベルがなりました。みると京都の自宅からでした。父親が脳梗塞で倒れたとの連絡でした。私は救急救命センターにその旨を伝え、直ぐに新幹線で京都に帰ってきました。そのまま現在に至っています。

 脳梗塞で倒れた父と始めて病院であったとき、何時も救命救急センターで診療にあたっていることが、自分の親に起き、ショックを受けたというよりは、「尿量はどうか?血圧は?脈拍は?意識のレベルは?」などと、良いのか悪いのか、医者の立場で対面している自分がいました。

 今回の父の死も、母が「動脈瘤はどうなるの?」と聞かれたとき、「動脈瘤が破裂するとあっという間に死んでしまうよ。」と話をしていました。それが現実のことになりました。

 動脈瘤の治療に関しては、その時の父親の体の状態や手術を受けた後の状態を想像すると、手術をして治すよりは今を楽しく生活しているほうが良いのではと思い、父も母も同じ意見でした。手術はしなくてよかったと思います。

 脳梗塞で倒れた父も最初の3年ほどは入退院を繰り返しましたが、その後は安定して、元気だった頃にやりたかったことが出来るようになりました。一人で診療を行っていたので、旅行にも行けなかったのがいけるようになり、原水爆禁止世界大会に毎年、広島や長崎に行けるようになりました。死ぬ数日前に焼津のビキニデーにも行くことができました。

自分のやりたかったことが、十分ではなくても出来てうれしかったと思います。

 父親が元気だったころは、あまりじっくり話をした記憶はありません。そんななか直ぐに思い出すことが三つあります。

 一つ目は、私が高校生のころ膝を怪我して1年あまり杖をついて生活をしたときです。それまでスポーツが好きで毎日クラブ活動と、体育をしに学校に行くような生活を送っていました。そんななか、急に怪我をして好きなスポーツもできずやけになっていたときがありました。ある日、「こんな足ならいらない!」とストーブをけ飛ばした事がありました。そんなとき父が「おまえの痛みや悔しさは俺にはわからない。でもおまえはどうなんだ。おまえのことで悲しんでいる母親の気持ちはわかるのか?!」と。そんな言葉になにも言えませんでした。その頃私は自分のことで精一杯だったんだと思います。

 二つ目は、私が医者になってからです。「手術は手先の器用さでするのではない、頭で手術するんだ。」と。肛門の解剖や機能を十分に理解して、そして肛門の病気の原因を十分に理解してその原因を取り除き、そして肛門の機能を失わすことなく頭を使って手術や治療を行えと言うことだったと理解しています。よく、「肛門科は患者さんに嘘をつくことができない。排便の時、何時も使うところだから治ったかどうかは患者さんが一番わかる。患者の訴えをしっかりきけ。」とも言っていました。

 三つ目は、父親が脳梗塞で倒れた後、私が診療を引き継いだのですが、1週間もしないうちに患者さんがパッタリこられなくなりました。私はこのまま患者さんがだれも来なくなるのではと焦りました。そんなとき父は、「何を焦っているんだ。診察に来られた患者さん一人一人をしっかり診て、しっかりと治していってあげればそれでいいんだ。」と。

 これらのことは医者や医療の本質だと思います。実行していくことは難しいことです。でもこの言葉はいつも私のなかにあります。

 私の父は自分のやりたいことを、なんの思惑や計算もなく、自分の好きなようにやってきました。こんな姿が周りの人達に好かれ、人気があったんだと思います。

 そんななか、突然の死。もっとやりたかったことや、やり残したことがあったのではと思いました。でも直ぐその考えは変わりました。父親の考えや思い、やりたかったことは、今私の中にあるんだと考えるようになりました。私はこの思いを大切にして、育み、次の世代に引き継いで行こうと思います。

 京都府知事選挙の立候補者の応援演説をたのまれました。人前で話すのは苦手な方ですが、父親が元気だったらきっと応援したんだろうと思い、受ける事にし、何回か応援演説をしました。

そんななか、宇治の小学校での応援演説の後、駅までスタッフの方が送って下さいました。少し日が暮れかかっていたこと、桜の花がとても綺麗だったこと、そして、その日の朝、母が「応援演説、おとうさんが生きていても喜んでいるんじゃない。」と言われたこと等が重なって、父の腕時計を見ながら、これで良かったのだろうと思ったとき、涙が出てきました。

 今年の春。桜の花の美しさは忘れられないものとなりました。

 

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