戦争のない平和な社会を。子どもたちの未来へ。
皆さん、こんにちは。渡邉医院の渡邉です。
明日はクリスマスイブ。予定や準備はどうですか?ばっちり準備万端の方もいればまだまだ全然できていないという方もいると思います。
寒い一日になると思いますが、それぞれ、皆さん楽しい一時を過ごして下さいね。
さて、そのような中、今年1年間は「国を守ること、国民を守ることとは何か?」を考えさせられる1年だったと思います。
ロシアのウクライナ侵略では、権威主義的国家による民主主義・自由主義への挑戦。まだまだ終息が見えない新型コロナウイルスの感染。そこでは高齢者や障害のある人たちが入院出来ず、生命を落とす留め置き問題などの事態は発生しています。また12月16日に政府は、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛整備計画」の安保関連3文書を改定し閣議決定しました。この中には「反撃能力」(敵基地攻撃能力)が含まれています。このことは日本の防衛・安全保障政策を根本的に変更して、「日本が自ら戦争をする国」へと進んでいくことを意味しています。 そして、2027年に防衛費と関連予算を国内総生産(GDP)比2%に増額する方針も決定しました。
そしてそのための財源は躍起になってかき集めてくる。その財源に東日本大震災の復興のために私たち国民が納めている復興税を転用としようとしています。復興税をいのちを奪い、生活を破壊する防衛費に転用することは絶対に許すことはできません。
公約に無かった防衛費の増額、そしてそのための増税。公約にあった子ども支援や所得倍増は財源も含めて嬉々として進まないのに、なぜ防衛費だけはこんなに早く進めることができるのでしょうか?
国を守ること、国民を守ることとは何か?
戦争によって命、生活を破壊し、未来の日本を担う今の子どもたちの命を奪う防衛費を増額し、日本を戦争する国にすることなのか。
国を守ること、国民を守ることとは、今生きている人々が経済的な心配なく安心して暮らすことが出来る社会を作ること。そして、未来の日本を担う子どもたちの未来を希望あるものにすることではないのでしょうか。
私たちは、社会保障を充実させ、今生きている人々の命や生活を守り、未来を担う子どもたちを支え守ってく。そして、戦争のない平和な社会をのぞみます。
京都社会保障推進協議会は今回の件に関して声明を出しました。その内容を紹介しますね
声 明
「外国への攻撃を可能にし、日本を戦争にまきこむ憲法違反の安全保障政策に強く抗議する。」
12月16日に政府は、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛整備計画」の安保関連3文書を改定、閣議決定した。また、2027年に防衛費と関連予算を国内総生産(GDP)比2%に増額する方針も決定した。岸田首相の言う、「反撃能力」は、敵基地攻撃能力であり、国際法違反の先制攻撃につながりかねない。
いかなる安全保障施策が必要なのかという説明がないままに、財源確保だけが決定された。しかも、5年間で43兆円という防衛費予算の内容も大雑把でずさんなものだ。
当初、「国債を財源にしない」と発言していた首相だが、最終的には戦後初めて建設国債を財源にあてることになった。増税の時期も明確にしていない。東日本大震災の復興のために私たち国民が納めている復興税を財源にするという。このことに被災地からも怒りの声が上がっている。復興税をいのちを奪い、生活を破壊する防衛費に転用することは絶対に許すことはできない。
防衛装備移転を拡大し、国内軍事産業を育成する方針も盛り込まれた。憲法の精神とは絶対に相いれない。
岸田首相のかたくなな態度の理由は、アメリカの強い意向によるものだとされる。アメリカの軍事戦略に本格的に参加する中で、アジアでの緊張はより高まることになる。岸田首相は、安全保障環境の変化を理由にあげるが、中国や北朝鮮の軍備拡張に軍備の増強で対抗すれば、際限のない軍拡競争にエスカレートする。
日本のあるべき姿は、アジアも含めた外交による安全保障を具体的に進めることではないのか。東アジアの平和と安定へと進む道を自ら閉ざしかねず、逆に日本が自ら混乱を招くような道へと踏み出す国防戦略の大転換に断固反対する。
軍事優先の岸田内閣により、育児支援など、こども関連予算の財源確保の議論は先送りされた。人類の歴史の中で、戦争により社会保障・社会福祉は必ず後退させられてきた。その歴史を岸田首相は繰り返そうとしているのか。
政府の安全保障の方針変更発表を受けて、すでに自衛隊の配備が進んでいる沖縄県のデニー知事は、「沖縄が攻撃目標となる事態は絶対に招いてはならない」と外交による緊張緩和に取り組むことを政府に求めたと聞く。また、戦争、有事のリスクが高まり可能性があることから、沖縄から避難するという住民の不安の声も聞かれる。岸田首相は、国民の声をいまこそ聞かなくてはならない。
戦後77年目をむかえた2022年の年末に決定された岸田内閣の安保戦略は、日本の平和主義をさらに大きく変質させ、戦争できる国へ大きく足を踏み出すことになる。
私たちは、岸田内閣の決定に強く抗議する。そして、国民が有している平和的生存権を守り、日本の名誉のために崇高な理想と目的を達成するために、すべての国民と力をあわせて日本とアジア、世界の平和を守るために奮闘することを表明する。
2022年12月19日
京都社会保障推進協議会
議長 渡邉 賢治
少し長くなりました。
。
退院後、2か月経って思うこと。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
10月5日に退院してもう2か月?まだ2か月?が経ちました。
入院していた時とは違い、いろんな思いを起こさせてくれます。
私が入院した時は、目の前の治療に取り組むことで頭の中がいっぱいでした。悪性リンパ腫という病名に驚くというよりは、今の状態をどう治していくのかを考えるのみでした。入院した時は、まったく食事もとれない状態でした。何日か経ってようやく食事が摂れるようになった朝食に、トマトスープが出ました。そのトマトスープを飲んだ時、「なんて美味しいんだ!」と、その時は個室に入院していたので、声を出して号泣しながら飲みました。泣きながら食事をしたのはその時が初めてでした。食事が美味しく食べれることがなんて幸せなこと感じました。このときからトマトスープのことを「命のトマトスープ」と呼ぶようにしました。この「命のトマトスープ」は以前のブログにも書きましたが、治療の節目節目に出てきました。忘れることのできないものとなりました。
寛解導入のための抗がん剤治療が5クール終わって下垂体近傍の腫瘍が消失して、完全寛解した時に初めて、「やっぱり悪性リンパ腫にはなりたくなかった。どうしてなってしまったんだろう。」と思うようになりました。少し気持ちに余裕ができたことと、あらためて悪性リンパ腫という病気に対してへの不安が出てきました。
こんな時に支えになったのが、ホームページへの記事のアップで、その時の自分の感じていること、自分の思いを書くことでした。書くことで、気持ちの整理が出来たり、不安が少しは解消できるような気がしました。また、TwitterやYouTubeでの全く知らない方からの相談も支えになりました。相談に答え、患者さんとのやり取りをしていることが、患者さんと自分自身が繋がっているんだという実感を持つことが出来ました。大げさに言うと生きている価値を見出せたような気がしました。
入院当初は、このコロナ禍もあり、自分一人で治療を受け治していかなければならないと思っていましたが、これは間違っていました。
目の前に誰もいなくても、近くで寄り添ってくれる人がいなくても、私を支えてくれる人がいるから頑張れたんだと思います。
また入退院繰り返しながらの治療でしたが、退院した時に、コーヒーを入れたり、朝ご飯の準備をする。食後の食器洗いやお風呂や家の掃除。また買い物に行く等、本当に何気ない日常の生活を送れることがとても幸せに感じました。そして、その何気ない日常生活を送ることがどんなに体力がいって大変なことも知りました。
退院してからは、入院の時の方が楽だったなあと感じます。入院中は目の前にある治療をしっかりこなしていくことだけを考えればよかったです。今、腫瘍は消え、血液検査的にも正常に近づいて、治癒の状態。悪性リンパ腫にならないための予防的な治療はありません。そうすると、その日その日の体調に一喜一憂してしまいます。目の調子が悪かったり、少し体調が悪いと再発してしまったのか?と考えたり、調子がいいときは治ってきたと喜んだり。退院にしてからの方が精神的な起伏が大きいです。こういった心の起伏も、また診療所を再開すると違ってくるのかなあと思います。
また今回の治療を通じて、「死」というものが今までとは違って、物事を考えるときに前面に出てきます。
「お正月を迎えることが出来るね。」とか、「誕生日はどうかなあ?」とか「息子や娘の結婚式には出たいね」なんて妻と話をしたりするようになりました。
やはり、悪性リンパ腫に罹患して、そしてその治療を通じて価値観や世界観が変わって来たと思います。
今しなければならないこと、やりたいことを後回しにすると、もうできなくなるかもしれない。今しっかりやっておかないといけないと感じます。
11月25日に39℃の熱が出て、気を付けていたのですが、コロナに感染しました。自家血幹移植後間もないので、重症化しないかと心配しましたが、4日後には解熱して症状も軽快していきました。本当にほっとしました。
ただ、2週間、自宅の部屋で隔離状態。退院した時以上に体力は落ちてしまいました。
1月10日から渡邉医院の再開しようと準備を進めてきましたが、少しその目標は無理かなあと思います。ただ1月16日の週には再開したいと思っています。再開の日にちなどはまたホームページ等でご報告いたします。
もうしばらくご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
便秘フォーラム「便秘を紐解く」に参加して。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。12月に入って寒い日が続きますね。
今日、久しぶりに外に出ると、そこはもう冬の景色。でも新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んで、リフレッシュしました。
というのも、自家血幹移植をして間がないので、結構気を付けていたのですが、11月25日に39℃の熱発。診察を受けると新型コロナウイルスに感染していました。とてもショックでした。
移植間もないので、重症化しないかと思いながら、自宅の部屋に篭り、隔離状態で療養しました。熱は3日間程度で下がりましたが、咳と鼻水が続くため、まったく部屋を出ずに過ごしました。たまたま部屋の隣にもトイレがあったので、(一家に2か所のトイレが必要と考えているので。)妻との同線は交わることなく、今日(発症後12日間)まで全く妻の顔を見ることなく過ごしました。
悪性リンパ腫の治療の時と比べて比較できないほどベッド上での療養になりました。今日外に出てみると、体力は激減していました。ゼロもしくはマイナスからのスタートです。チョット気合を入れていかなければと思っています。
さて、今日は「便秘フォーラム」にWEBで参加しました。その時の内容を少し紹介しようと思います。
今回のテーマは「便秘を紐解く」といった演題名での講演でした。
まず最初に話されたのが、「慢性便秘を治療する意義」です。慢性便秘の患者さんは「10年生存率を12%下げる。」ということでした。慢性便秘も機能性消化器疾患の一つですが、過敏性大腸炎などの他の機能性消化器疾患の中で、唯一生存率を下げるのが、慢性便秘ということでした。そして、生存率を上げるためにも慢性便秘の治療が必要であるということでした。
生存率を下げる理由の一つとして、慢性便秘の患者さんには、心筋梗塞、脳梗塞や静脈血栓などの心血管系のイベント、病気の発生頻度が上がるというものでした。
どうしても便秘の際、いきみが強くなります。強くいきむことで血圧が一気に30-70mmHg上昇するそうです。特に高齢者に多いとのことでした。この血圧の上昇、下降と似ているのがヒートショック、入浴時の血圧の上昇、下降です。したがって、慢性便秘の患者さんは、排便時に強くいきむ。このことによって血圧が上昇して心血管イベントが起きるというものです。
ただこれだけが理由ではなく、二つ目として便秘と腎臓病との関係です。
便秘は慢性腎臓病への移行を高くするということです。そして便秘がひどくなればなるほど、慢性腎臓病への移行率が高くなる、しいては末期慢性腎臓病に移行する率も上げるということでした。
この二つの理由の共通した原因が、便秘による尿毒素とのことでした。
私たちは卵や赤身肉などに含まれるコリンは、摂取すると腸内細菌によってトリメチルアミン(TMA)になります。TMAは腸管から吸収され肝臓でトリメチルアミンーN-オキシド(TMAO)になります。このTMAOの血中の濃度が高くなることで腎障害や心血管イベントが高まるそうです。
したがって、慢性便秘によってTMAの吸収が多くなりこのことによってTMAOの血中濃度が高くなる。したがって毒素貯留をなくすことが大事で、やはり慢性便秘の治療が必要となります。
このように、慢性便秘の治療は生命予後の改善を目指すのが目的となります。ただ、生命予後を改善と言われてもピンとこないと思います。もっと身近なところでは、慢性便秘の治療は日々の生産性の向上ということがあります。
慢性便秘の患者さんは、欠勤や労働生産性の低下など、仕事のパフォーマンスが下がったり、日々の活動性も低下するということです。これらを改善するためにも慢性便秘の治療が必要とのことでした。
さて、「便秘を治す。」とはどうゆうことか?演者によると「十分な量の便を完全に、そして迅速に排泄する。」ということです。これには便の性状を良くする必要がありますが、排便時の姿勢も大切ということです。以前にお話しした、「洋式便器と和式便器、どちらがいいの。」でもお話ししたように排便しやすい姿勢も大事になるとのことです。
最後に今回も胆汁酸の重要性をお話しされました。
具合よく便が出るには、「十分な水分」、「蠕動運動」、「便意」の三つを挙げられました。
この三つに胆汁酸は重要な役割を果たしています。胆汁酸の合成は加齢とともに減少します。このことも高齢者に便秘が多い理由の一つとなります。
便秘の人と、そうでない人の回腸末端を観察すると、やはり便秘の患者さんに胆汁が少ない傾向がありました。また便秘の方は胆汁酸の再吸収が多いのか、血中の胆汁酸濃度が高い傾向があるとのことでした。
こういったことから、慢性便秘に対して胆汁酸の再吸収を抑える下剤、エロビキシバットを使うことによって便秘を治療できる可能性があるとお話しされました。
今回の便秘フォーラムの内容はこんな感じでした。
12月になりました。新型コロナに感染してしまいました。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
今年も後1か月、12月になりました。
悪性リンパ腫に対して最終的に自家血幹移植(いわゆる骨髄移植)を終え、10月に退院しました。
その後は自宅で肉体的、精神的な体力アップを図ってきました。目標としては1月から渡邉医院を再開しようと取り組んできました。
半年以上使っていないと、トイレなどもどうしても汚れてきたり、誇りも溜まってきたりします。
これまで定期的に清掃して下さっていた業者さんに連絡して、再開する前に一度スッキリきれいに清掃していただくことにしました。また、渡邉医院の全てのカーテンをクリーニングしていただきました。
入院前から事務所の壁に棚があると、机の上が整理されて仕事がしやすいだろうなあと思っていた棚も、渡邉医院を建ててくださった工務店さんにお願いしてつけてもらいました。
また、私の入院、渡邉医院の休止のために解雇させていただいたスタッフで、渡邉医院再開時に復帰して下さる方々と面談もしました。
順調に準備が進んでいる中、頑張りすぎたのか11月25日に39℃の熱発、悪性リンパ腫の治療を受けている病院を受診すると、新型コロナに感染してしまっていました。
これまでの悪性リンパ腫の治療、最後に行った自家血幹移植。まだまだ十分に免疫ができていなかったのでしょう。感染にはとても注意をしていたのですが、感染が判明してとてもショックでした。また、自家血幹移植後まだ日にちが経っていないので、重症化になるのではないかといった不安もありました。悪性リンパ腫の治療の過程で最大のピンチを迎えてしまいました。
現在発症して9日目、熱は下がりましたが、まだ時々咳が出たり、鼻水は出ます。なんとなく全身の倦怠感もあります。これからは重症化には向かわないだろうと思いますし、願っています。
今、自宅で部屋に閉じこもって隔離状態で療養しています。ベッドの上でこのブログを書いています。
そんなこともあって、渡邉医院再開に向けての準備が止まってしまっている状況です。
新型コロナウイルスの影響は強いです。これまで悪性リンパ腫の治療中でもこんなにベットに寝ている時間は長くなく、できるだけ寝ないで療養していました。新型コロナ感染では熱もあったせいで、この9日間ずっとベッド上での療養になっています。
おそらく、移植後頑張ってきた体力アップは一気に0,もしくはマイナスになってしまったなあと思います。
これまで、悪性リンパ腫の治療、渡邉医院再開に向けて張りつめていた糸が、ぷつんと切れた感じです。
一旦張りつめた糸が切れた方がよかったのかもしれません。張りつめたまま渡邉医院を再開して、再開後に切れるよりはよかったなあと思います。
ただ、渡邉医院再開の目標である1月は、もう目の前になって締まました。もう一度気合を入れなおして、再開に向けての準備を進めていこうと思います。
1月10日からの再開を目標にしていましたが、1月中の再開へと、少し方針転換をしなければいけないかなあと思っています。
まだまだ、皆さんにはご迷惑をおかけしますが、おろしくお願いいたします。
介護保険制度を改悪しないで!
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
自家血幹移植が終わり、退院してから1か月過ぎました。まだまだ本調子ではありませんが、順調に来ています。自家血幹移植の際に主治医から「入院期間は1か月半から2か月ぐらいです。」と言われました。2か月だと11月に退院でもおかしくなかったと思うと、焦らずに、じっくりリハビリしながら渡邉医院の再開に向けて準備をしていきたいと思います。
さて、今、介護保険に関しての見直しの議論がなされています。これまでの国の政策では、介護保険制度はどんどん改悪され、利用者が利用できない状況が進んでいます。今回の見直しでさらに介護保険制度が改悪されると困ります。今回はこの介護保険制度に関してお話ししたいと思います。
介護保険は2000年に施行され、22年が経ちます。
介護保険は、「介護の社会化」ということで、「家庭内・家族が担っていた介護を広く社会共通の課題として認識し、実際の介護、ケアを担う社会資源(サービス)を、税と保険料を中心に拠出された財源によって、社会全体が担っていくもの」とされていました。しかし、この22年間の介護保険制度の改悪で、必要とする介護サービスを利用できない状況が広がってきています。医療保険は現物給付なのに対して、介護保険はサービスを「お金で買う」という制度設計になっています。ですから、経済的理由によって、本当は必要な介護やケアを受けられなくなってしまいます。
また、家族を介護しなければならないという理由での「介護離職」も増えています。さらに介護事業所においても、介護の担い手となる人材不足が深刻なのと、低い介護報酬から、経営が難しくなっています。2022年1月から9月までの老人福祉・介護事業の倒産は100件。介護保険法が施行された2000年以降で最多となりました。
そして現在のコロナ禍において、こういった事態はさらに深刻になっています。
このような状況の中、政府は2023年の通常国会に向けて介護保険の見直しの検討をしています。これまでの政府の政策をみると、良い方向に改正されるという期待は持てません。必ず改悪に進んでいきます。
さて、今政府が検討している介護保険の見直しの内容ですが、次の7点があげられると思います。
1)要介護1・2の訪問介護・通所介護を総合事業へ移⾏
2)利⽤者負担の引き上げ(原則2割化、2・3割の対象拡⼤)
3)ケアマネジメントに利⽤者負担の導⼊ (ケアプラン作成の有料化)
4)福祉⽤具を貸与から購⼊へ
5)⽼健施設などの多床室(相部屋)の室料有料化
6)ICT・ロボット等活⽤で⼈員配置基準の切り下げ
7)「科学的介護」の名の下で「⾃⽴」促進
です。
このように、今検討している内容は、介護保険利用者への負担増と給付の削減です。
要介護1・2の方が本当に軽度者なのか?また総合事業に移行することで地域差が出てこないかも心配です。また、利用者負担の引き上げが行われると、今ですら多くの介護サービスはあるものの、経済的な理由で、その「サービスを買う」ことが難しくなっている中、さらに必要な介護・ケアを受けられなくなる人たちが増えてしまいます。
ケアプラン作成の有料化では、独居の高齢者にとって社会とのつながりであったケアマネージャーとの関係がなくなりかねず、さらに孤立化が進んでしまうのではないかと心配です。
ICT・ロボット等活⽤で⼈員配置基準の切り下げにおいては、国は良くAIを用いて効率化を図ると言います。でもこの効率化を図った先にあるものは何か。国は効率化を図り、孤立化された分、人員を削減するといった方向に向きます。本来ならば効率化を図り余裕のできた時間は、その人員を利用者との触れ合いなど、人にしかできない介護・ケアを充実させる方向に進めていかなければならないのではないかと思います。
来年の通常国会に向けての介護保険の見直しにおいては、今、利用者や介護事業所、介護従事者が直面している困難をしっかり聞いて、見て、利用者が必要とする介護・ケアを経済的な心配をせずに十分に提供できるような制度に介護保険を見直して欲しいと思います。
そして私たちは、来年1月に開かれる通常国会までに介護保険制度をよりよくするように求める声を大きくしていかなければなりません。
健康保険証の廃止に反対する!
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
今回は、オンライン資格確認の義務化と、健康保険証の廃止に対して反対する理由などをお話ししたいと思います。
まず、オンライン資格確認に関しては原則義務化とされました。このことは療養担当規則にも明示されてしまいました。このことは、オンライン資格確認のシステムを導入していない医療機関は保健医療ができなくなってしまいます。また、廃業してしまうことに繋がります。医療機関の中には、設備的にオンラインができない施設だったり、オンライン資格確認のシステム機器を置くスペースがない、またオンラインに対応できない医療機関等あります。
すべての医療機関がこのオンライン資格確認システムを導入できない状況にあります。
そうすると、地域の医療を守り、私たちの健康、命を守ってきた医療機関がどんどん地域からなくなってしまうことになります。
渡邉医院は、現在紙カルテ、紙レセプトのため、この原則の中には入りません。
でも、10月13日に河野大臣が発表した「健康保険証の廃止」が行われれば、渡邉医院では本院確認をする方法がなくなってしまうので、保健医療ができなくなってしまいます。
「オンライン資格確認」、「健康保険証の廃止」には、これ以外に様々な問題があります。この問題に関しては、またあらためてお話ししたいと思います。
今日は、「マイナ保険証の“義務化”撤回を」という抗議談話を京都府保険医協会が出しました。この内容を転記して紹介します。
また、「このまま健康保険証が廃止されれば、マイナンバーカードがない医療にかかれなくなるの?!」という健康保険証の廃止を撤回させる署名運動もしていく予定です。
もし署名用紙をご覧になったら、ぜひ署名お願いいたします。撤回させるには多くの方
の賛同、協力が必要です。
では、抗議談話を紹介します。
抗議談話
マイナ保険証の“義務化”撤回を
京都府保険医協会理事長 鈴木 卓
現行の健康保険証を2024年秋に廃止し、マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」に切り替えると、河野太郎デジタル相が 10 月 13 日に発表した。法的には任意のカード取得を、生命に関わる保険証を使って事実上義務化し、強制することは到底容認できるものではなく、撤回を求めたい。
岸田政権は骨太方針 2022 に「2024年度中を目途に保険者による保険証発行の選択制 の導入を目指し、さらにオンライン資格確認の導入状況等を踏まえ、保険証の原則廃止を目指す」と書き込み、医療DX(デジタルトランスフォーメーション)推進を重点政 策に掲げた。その狙いについて協会は、個々人の医療情報を民間企業に利活用させ「経済活動」の道具とすることを目指し、さらに国家が個々人の医療情報をすべて把握することで、「負担」と「給付」の関係を管理し、医療費抑制政策に役立てることにあると指摘してきた。
強引な手法で急ぐのは、マイナ保険証こそがその医療DXの基盤であるからに他なら ない。医療機関には 2023 年4月からオンライン資格確認が原則義務化される。医療機 関、患者双方向から同時に強制しなければ進まないと考えたのだろう。
国はデジタル化推進の理由にさまざまなメリットを挙げる。たしかにこれからの社会 に必要なインフラであり、さまざまな便利さをもたらすであろうことは否定しない。しかし、マイナポイント事業などを駆使してもカードが普及しないのは、国が集めた個人情報がどう使われるのか、情報が漏洩しないのか、利便性以上に国民の不安が根強いからではないのか。
マイナンバー制度が導入されたのは 2016年だが、カード普及率は 49.6%。2021年10 月に利用開始したマイナ保険証を持つ人は全人口の2割にすぎない。全国の医療機関におけるオンライン資格確認参加率は 10 月現在 31.5%で、医科診療所では 21.4%に限られる。
このような状況であるにもかかわらず、国は国民の不安に向き合わず、丁寧な説明を尽くすこともせずに、「強制」というカードを切ってきた。この間の政治の劣化が顕著 にあらわれている。 また、「マイナ保険証」を取得したくてもできない人が出てこないのか。具体的な仕 組み作りはこれからだという。これにより、患者の受診機会を阻害することや、その混乱を医療の現場に押し付けることがあってはならない。
改めて協会は、国に対しデジタル化にあたっては国民の情報管理の在り方と使い方に ついて根本的な見直しを行って国民の理解を得ること、そしてマイナ保険証及びオンライン資格確認の義務化を撤回することを求めるものである。
2022 年 10 月 18 日
11月になりました。焦らずじっくりと。
11月になりました。昨日は雨の一日でしたが、今日はとてもいい天気です。これから紅葉も進み行楽シーズンになりますね。
私たちができる感染対策をしっかりとって、紅葉を楽しみたいと思います。
悪性リンパ腫の一連の治療の最後、自家血幹移植も終わり、10月5日に退院。もう直ぐ退院して1か月になります。
体調はまずまずですが、まだまだ元通りとはいきません。昨日外来診察の日でした。血液の検査では、退院後白血球が14000/μl前後を推移していて、増えてはいましたが、まだまだ正常の機能はしてなく統制が摂れていませんでしたが、昨日の血液検査では8400/μlと落ち着いてきました。ただ、白血球の分画をみると、好中球が少なく、好酸球が多いなどまだまだだなあと思います。また、血小板に関しては、退院後徐々に減少し、先週の段階では12.4万/μlと正常値の下限を切りました。このまま減っていくのかと心配していましたが、血小板に関しては昨日の結果では15.1万/μlと増加傾向になりました。少し安心しました。
血液の検査、一喜一憂してはいけないと思いますが、徐々に落ち着いてきているようです。
ただ、退院してもう直ぐ1か月。私としては、もっと元の状態に戻るかと思っていましたが、まだまだ退院してきたときと、そう変わらない感じです。6か月超の治療、そして最終の自家血幹移植のダメージは結構蓄積しているんだなあと感じました。
退院後、ウオーキングをしましたが、少し頑張りすぎたのか、焦りすぎたのか、以前痛めた左の膝に痛みが出てしまいました。今週は少し休んで、焦らずに徐々に行っていこうと、チョット反省しているところです。入院しているときは、治療のことだけを考えて日々を過ごしていましたが、やはり退院するといろんなことを考え焦りや不安、反対に楽しみや期待等様々な感情が湧き出てきます。これもとても貴重な経験だと思います。
ということで、現在の私の状況はこんな感じです。
渡邉医院の再開の目標は、年明けの1月から。まだ2か月あると思えばいいのか、もう2カ月しかないと思えばいいのか、少し焦りはありますが、肉体的にも精神的にもしっかり体力アップして再開したいと思います。
渡邉医院再開に向けて。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
10月5日に退院して3週間がたちます。何気ない日常の生活に戻ったということにとても幸せを感じています。
朝起きて、コーヒーを入れる、食後のかたずけ、お風呂の掃除、洗濯や買い物。以前は極々当たり前のことで何も感じなかったことが、退院した今はできる。とてもうれしく幸せを感じます。これまで休みの日に食事を作るということはありませんでした。でも退院してからは自分で作るようにもなりました。大きな変化です。
悪性リンパ腫。本当になりたくなかったです。白血病や悪性リンパ腫はテレビなどで有名人の報道があり、自分とは全く関係ないことのように思っていました。それが突然の発症。まさか自分がなるとはとは思ってもいませんでした。でも、なったことでいろんなことを経験し、また、以前の自分にはできなかったこと、やらなかったことなどをするようになりました。
今回の治療で、私自身一つ成長したなあと感じます。
現在の体調としてはまずまずかなあと思っています。まだまだ元に戻ってはいません。
3月29日に緊急入院をして約6か月間。この間の治療の影響が蓄積されているんだなあと感じます。
肉体的な体力に関しては、退院後約1時間30分程度のウオーキングを毎朝行っているので大分アップしてきているのではないかと思います。3週間経ちますが、足の筋肉痛はまだまだあります。こんなに筋力も落ちていたのかと、ビックリしています。
さて、自家血幹移植後の経過ですが、9月24日に生着して、約1か月経ちました。白血球の数は13000/μlと増加はしていますが、その内容をみると好中球は少なく、好酸球が多かったり、まだまだ正常に統制されていないようです。また、血小板に関しては一旦33万/μlまで増加しましたが、その後徐々に減少して、今週の火曜日(10月25日)の段階では12万/μlまで低下。正常値の下限を切りました。白血球や血小板の増減に関しては自覚症状はありません。毎週の外来受診時の血液検査の結果でわかります。
この白血球の増え方がしっかり正常に統制されるのはいつか?血小板の減少はどこで留まり再度増加してくるのか?まだまだ予断は許さないなあと思っています。
良く患者さんに術後に「傷がふさがったのと治ったのは別です。傷がふさがってからもまだまだ治っていきます。」とお話ししていますが。やっぱり悪性リンパ腫の治療も一緒。
造血幹細胞が無事生着したからと言ってそれで元の状態に戻るわけではないなあと感じます。まだまだこれからといったとこなんだなあと思います。
さて、渡邉医院の再開についてですが、今のところの私の目標は、来年年明けの1月からの再開です。それに向けた準備を少しづつ始めています。
悪性リンパ腫になる前と同じようにはなかなか診療できないのかなあと今は思っています。でも手術をして患者さんを治していきたい気持ちもあります。現在の有床診療所の施設基準をワンランク下げて再開しようかなあと考え、それに向けての届け出の書類なども作成しています。
渡邉医院の再開の際のスタッフですが、現在のところ5名の方が復帰してもいいとの返事をいただいています。本当にありがたいことです。私の入院、渡邉医院の休止によって突然の解雇。やむを得ない状況とは言え、スタッフにとってはとても辛い決定になってしまったと思います。それにも関わらず、渡邉医院休止から約10か月後の再開の際に復帰を申し出てくれえました。本当に感謝しかありません。
さて、渡邉医院のまずは縮小からのスタートを考えています。ただ、無床の診療所にはせず、有床診療所のままでいたいと思います。やはり入院施設を持っていることで、患者さんに必要な治療を迷うことなく行うことが出来ます。
休止前は、有床診療所入院基本料5を算定していましたが、再開時にはワンランク下げた有床診療所入院基本料6を算定しようと思っています。休止前の有床診療所入院基本料5の場合、常勤の看護職員が4人以上7人未満という施設基準があります。そして1日の入院基本料は737点、7370円で3割負担の方は2210円の自己負担になります。有床診療所入院基本料6の場合は常勤の看護職員が1人以上4人未満という施設基準で、入院基本料は543点、5430円で3割負担の方では1630円の自己負担となります。渡邉医院としては1日1940円の減収になります。反対に患者さんにとっては1940円の負担軽減、3割負担の方は1日580円の窓口負担減となります。
このように、有床診療所入院基本料をワンランク下げる。
また、外来診療の時間は、最初のうちは月曜日から土曜日までの午前中だけの診療都市、順次、以前の診療時間に戻していく。
さらに手術に関しては、まずは1月は入院しなくてもいい手術から始めて、私自身の体調、そして大切なのが、術後の患者さんの治り具合などを診ながら2月以降入院が必要な手術を始めていこうと考えています。
まだまだ目標で、私の回復の状態などもしっかり診ながら、焦らずに進めていきたいと思います。
退院しました!!
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
10月5日に退院しました。
3月29日に緊急入院。悪性リンパ腫の診断で、まずは寛解導入に向けての5クールの抗がん剤治療。この治療で下垂体近傍ににあった腫瘍は消失して完全寛解になりました。
引き続いて、もしも残っているがん細胞があれば、それを叩く、言ってみればとどめを刺すための地固療法を2クール。この時に最終的に自家血幹移植を行う際に使う造血幹細胞の採取。そして、一連の治療の最後、自家血幹移植のために9月1日に入院しました。移植前処置の抗がん剤投与をした後、9月14日に採取保存してあった造血幹細胞を移植。移植10日目に生着。その後順調に白血球などの血球が増加して、10月5日に退院となりました。
6か月超の一連の治療が終わりました。この間やはり肉体的な体力の低下。また、会議や人の話をしっかり聞いて、それにこたえるという気力、体力もやはり低下しています。
この体力をこれから渡邉医院再開に向けてしっかりアップしていきたいと思います。
今、毎ウオーキングをしています。最初はとぼとぼ歩いていましたが、今日は歩幅も広くなり、腕もしかり振れるようになりました。昨日からウオーキングの途中にある鉄棒を使っての腕立て伏せも再開しました。本当に筋力も落ちているようで、今は筋肉痛が強いです。毎日のウオーキングをすることでこの筋肉痛が治まれば体力アップ、筋力アップが図れるんだと頑張っています。
自家血幹移植のための入院前の目標が、10月14日から10月16日まで京都文化博物館で開催される「シルバー美術展」に、自分自身が出展する作品を搬入するでした。この目標も達成することが出来ました。
今回の一連の入院期間で計28作品を描きました。その中の1点を出展しました。
寛解導入の抗がん剤投与が終わりに近づき、次のステージ、地固療法から自家血幹移植に向けての治療の節目に描いた絵です。次のステージの治療が進み、その先にはしっかり根を張った大樹が待っているといった気持ちで描いた絵です。
退院して、これまで描いてきた絵をもう一度見てみると、その時その時の気持ちが込められた絵だなあと感じます。治療がしんどかった時は、絵も力なくしんどそうな絵になっています。やっぱり、これら28作品が一つの作品なんだなあと思います。
さて、この6か月超の治療を頑張れたのは、やはり妻の支えがあったからこそだと思います。妻にそのことを話すと、「私は何もしていないよ。」と返事が返ってきました。でもそんなことはありません。1クール終わるたびに約1週間一旦退院します。これを繰り返していきます。退院した時は、朝コーヒーをいれ朝食の準備をしたり、食後のお茶碗洗い、お風呂の掃除や家の掃除。買い物に行ったりする、この何気ない、本当にありふれた日常生活に本当に幸せを感じます。そしてそこに妻がいてくれる。しっかり治して、この妻がいる幸せな日常生活に戻りたい。こういった気持ちが私の支えになり、力になりました。本当に妻には感謝です。
また、家族以外にも私を支えてくれた皆さんにも感謝です。
さて、今後の渡邉医院の再開に向けての予定ですが、まずはしっかり体力をつけ、人の話をしっかり聞けて、それに適切にこたえることが出来る、そんな体力を10月、11月でつけたいと思います。
そして12月から渡邉医院の再開に向けた準備をして、来年年明け1月から再開したいと考えています。
もうしばらくご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
10月になりました。退院に向かって!!
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
10月になりました。病室の窓から見える空の雲。もう下記の雲になっています。病室にいると季節の移り変わりが空と、雲、そして外の景色でしかわかりません。朝夕は涼しくなってきているのでしょうか?
さて現在の私の状態ですが、今回が悪性リンパ腫に対しての最後の治療となる「自家血幹移植」のために9月1日から入院しています。今回はクリーンルームからのスタートになりました。治療が始まると、この部屋から一切外に出ることはできなくなります。
いよいよ、9月7日から移植前処置が始まりました。今回移植前処置に使った抗がん剤はブスルフェクスとリサイオという抗がん剤です。ブスルフェクス2日間投与、続いてリサイオの2日間投与の4日間行いました。やはり、今回はこれまでよりも強く副作用が出ました。リサイオ2回目投与後の夜から、嘔気、嘔吐が続きました。食べたものだけでなく、水分を摂っても直ぐに嘔吐してしまう。そんな状態でした。ただ、これも3~4日ほど経つとだんだん改善してきました。ただなかなか、以前の様な食欲は出てきませんでした。
自家血幹移植は9月14日に行いました。前回の地固療法の際に採取して保存してあった増加継幹細胞を輸血のように自分の体に戻していきます。
移植後も白血球の数はぐんぐん減り、9月18日の段階では200/μl(正常3300~8600/μl)、9月20日には100/μlまで減少し、骨髄は一旦「死」の状態になりました。後はそこに移植した造血幹細胞が生着し、白血球やそのほかの血球を増やしてくれるのを、ただ待つだけになりました。
移植前より熱が出始め、発熱性好中球減少症に準じて抗生剤を内服から点滴へ変更するなど対処。口唇(疲れた時などに良くできていた部分)に、ヘルペスらしく皮疹が出てきたのでヘルペスに対しての治療など、行っていきました。
9月22日の段階でもまだ白血球は100/μlのままでした。
このころは頻回の下痢にも悩まされていました。出てくれるのはいいのですが、やっぱりお尻が痛い。なかなか自分で診察することはできませんね。
自家血幹移植後10日目、9月24日の血液の検査で、白血球が2000/μlに増加、好中球も76.6%と増加してきました。その後も9月26日には白血球7300/μl、9月29日には8300/μlと増加。これをもって9月24日が生着日となりました。
血小板の一時1.4万/μl(正常15.8万~34.8万/μlにまで低下、これに対しては血小板輸血を行いました。生着後は白血球と同じように増加し、9月29日には19.3万/μlに増加しました。
生着し、白血球も血小板も増え、正常値になったのですが、やはり移植、生着、造血といった物凄いことが体の中に起きているせいか、熱がなかなか下がりませんでした。ようやく昨日から平熱に戻り、11日間で続けていた熱もようやく落ち着きました。
これまでお話ししたような経過をたどって今日まで来ました。
後は明日の月曜日の血液検査の結果を見て、いよいよ退院の日が決まります。もう直ぐです。
さて、退院後ですが、10月、11月はこの約半年間に渡っての治療で随分落ちてしまった体力をアップするためにしばらく自宅療養と外来通院をしたいと思っています。そして12月に入ったら、渡邉医院の再開に向けての準備を行い、できれば来年1月から「シン・渡邉医院」を再開したいと思っています。
長い間、本当にご迷惑をおかけしてきました。でも私の周りにいる皆さんが私に力を与えてくれて、支えて下さっているんだということをしっかり感じることが出来ました。
渡邉医院の再開まではもう少し先になりますが、もう現実として見えてきています。
これからも、温かく見守り、支えて下さいね。よろしくお願いいたします。
2022年10月2日
渡邉医院 渡邉賢治